not for the life of me

ビールが好きです。でもウイスキーのほうがもっと好きです。

覚書

 

たまにニュースでハラスメント事件に触れたり、身近な人のハラスメント経験を聞いたりすることがある。

ハラスメントと聞くと、何か悪意のある人が、相手からの抵抗を理解しつつも相手に対する嫌がらせや攻撃・暴力をやめない、といった状況を想定する。

 

けれども、どうやらそうした事例はハラスメント事案の一部でしかなく、もっと広く蔓延し、よく見られる事例は、ハラッサーである人が自身の振る舞いをハラスメントだとは理解していない状態なのだと、最近知った。

 

相手と自分との間にどういった関係が成立しているか、相手と自分との間に関係性の非対称性があるか、自分の振る舞いや発言を相手がどのように受け止めているか、といった点について、加害者と被害者で理解が大きく食い違っている。

ハラッサーが、自身の立場を自覚的に利用して攻撃を繰り返すといったことは、わずかではないにせよ、事例の一部でしかなく、多くの場合、ハラッサーは実際には自身の立場を利用しているものの自身の振る舞いや発言が相手に与えている攻撃性には無自覚である、という状態がほとんどではないかと思う。

 

自分がそのようなハラッサーにならないための、覚書。

 

小躍り

 

博論のプロポーザル的な何かが書けつつあり、まだいろいろ修正箇所はあるものの、ひとまず自分が読んで面白いと思えるものが書けそうな気配にただただ小躍り。

 

にゃーん

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ジョン・クラカワー『ミズーラ』

www.akishobo.com

 

 

感想を書かずにいたので。

 

『荒野へ』などで知られるノンフィクション作家のクラカワーが、アメリカで大騒ぎになった「キャンパスレイプ」問題について、その中心地とされた大学町・モンタナ州ミズーラで取材しまとめた本。

 

経験者だとフラッシュバックを引き起こす可能性があるレイプ場面の細かい描写、加害者に味方する警察・検察・弁護士、被害者をバッシングする世間……と、読んでいてストレスフルな内容が続き、途中で読むのをやめたくなる。ただ、警察や検察、弁護士たちが被害者の証言や訴えを疑ったり、被害者よりも加害者のほうの証言を信用したりする場面で、その都度著者が性被害に関する論文を引用して、加害者側の主張を否定し、被害者を懸命に守ろうとしているので、読んでいるときは著者・被害者と一緒にズタズタになりながらも必死で闘っている気分になる。というわけで最後まで読めた。よかった。

 

以下、疑問に思った点を書いておく。

 

・「キャンパス」レイプであるがゆえの問題性がわからない

これに尽きる。性被害が女性に偏ることも、被害者が被害を届け出ることも、警察の捜査が不十分になりがちなことも、検察側が被害者の望むような求刑をしないことも、被害者が訴えることでかえってバッシングを受けたり、警察や検察からセカンドレイプを受けることも、性被害一般によくあること。この本が取り上げているような、大学生が被害者・加害者になる事例でなくても、一般的にあてはまる。だから、この本は性被害について一般的な問題点を理解する上では有益な本だけど、性被害が学生同士の間で生じることの問題性や原因は、いまひとつよくわからない。強いて挙げるならば、町全体が応援する大学アメフトチームの選手が性暴力をし、またそのチームの選手であるがゆえに町全体から(警察からも検察からも裁判官からも)守られがち、という点のみ。

むしろ、大学は学生間で生じた性犯罪に対して日本では信じられないほど真面目な対応をしているように読めた。特に注目し、個人的に驚いたのが、本書で取り上げられているモンタナ大学が、一般的な法制度からは独立した、独自の裁判所を設けていることだった。以下、抜き書き。

 二〇一一年の「同僚への書簡」で米国教育省から命じられた制限にしたがい、モンタナ大学は、ほかのアメリカの大学同様、性的暴行の訴えを審理する際の立証責任として、それまでほとんどの大学が用いていた「明確かつ説得力のある証拠」基準や、刑事司法制度で用いられている「合理的な疑いを差し挟む余地がない」基準ではなく、「証拠の優越」という基準を用いることを義務づけられていた。言い換えれば、学生を除籍するために、大学は、被疑者が罪を犯したこと示すたしかな証拠が証拠全体の五十一パーセントに達していると断定すればいいということだ。この軽い立証責任の目的は、レイプという犯罪ーー米国教育省が明らかにしたところによれば、アメリカの大学であまりにも頻繁に発生している犯罪ーーを犯した学生が罰を免れるケースを減らすことである。(p.255)

通常の裁判であれば罰せられる確率の低い性犯罪者が、大学の手続きでは比較的重い処罰を受けやすい(被害者側の立証責任が軽いので)。よって、本書でも大学側の被害者への対応はそれなりに肯定的に評価されていたと思うし、大学の裁判では加害者がアメフトチームの選手だなどということは加害者にまったく有利に働いていなかった。こうした大学独自の裁判は、被害者にとっては大きな助けになるし、性犯罪への大学の姿勢を示し学生の安全を守る点で重要だと思う。

こうして見てみると、「キャンパス」レイプとしての問題点がいまいちよくわからないまま終わってしまった感じが否めない。この本は、「キャンパスレイプ」についてのドキュメンタリーというよりも、モンタナ大学で相次いで発覚したレイプ事件から、性犯罪にかかわる司法制度の問題点を明らかにしたドキュメンタリー、と考えたほうがよいように思う。

 

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この本で出てくるレイプ被害のケースのほとんどが、加害者も被害者も酒に酔っていて、加害者が明確な意図と計画性をもって加害に及んでいるのではない。加害者のほうが、酔って正常な判断能力を失っていたり、相手からの抵抗を真に受けずに勝手に「同意があった」と思い込んで加害に及んでいるケースがほとんどだった。*1

最近、TEDでレイプ被害者と加害者が一緒にステージに立ち、話題になっていた。

www.huffingtonpost.jp

「あれはレイプではなく、セックスだと信じ込むことで、真実を捻じ曲げていました。そして、それは嘘でした。きちんと立って歩けないほど深い罪を感じています」

このTEDトークに伴い、イギリスの国内外の大学で「同意に関するワークショップ」の導入が増加している。学生に同意があるかないか状況を確認することを促し、また、同意のないセックスはレイプだと強調している。

大学内での性犯罪を未然に防ぐためには、「同意のないセックスはレイプ」だという(一部の人にとっては当たり前ではない)ことをしつこく学生たちに伝え続けなければならないのだと思う。酔っていたからといって、自分はアメフトチームの人気プレーヤーだからといって、自分は頭が良いからといって、相手から「Yes」がなければセックスはしてはいけない。こんな簡単なことでも、(多くの場合男子)学生は知らない。本書で出てくる事例の加害者たちは、レイプ犯になったことで当惑し、ショックを受け、取り乱したりしている。自分がレイプ犯になるなど、思いもよらなかったのだろうし、その現実を受け止めることもできなかったのだろうと思う(このTEDトークで語るストレンジャーとは反対に)。性犯罪を未然に防ぐとは、単に女性たちに自衛を呼びかけるのではなく(それはいとも簡単に被害者バッシングにつながる)、加害を防ぐことなのだろうと思う。本書とTEDトークを併せて読む(聞く)と、そのことがよく理解できる。

 

 

 

 

*1:この点、日本の「キャンパスレイプ」のほうがより酷いのではないかと思った。東大にしても、慶應大にしても、千葉大にしても、最近起こった日本のキャンパスレイプのほとんどが、サークル活動の名のもとで、集団で、計画的に、行われていた。スーフリ事件から日本の大学の性犯罪対策は何ら進展していないのだな、と暗澹たる気持ちになる。

映画鑑賞(3本まとめて)

これまで観た映画の感想まとめ。観すぎ。お金ない。

 

① Moonlight 

moonlight-movie.jp

 

とても美しい映画だったと思う。ストーリーも、人も、画も。

黒人のコミュニティ、貧困、ドラッグ、虐待、いじめ、同性愛……といろいろと重要なテーマがあるけれど、そのうちのどれか一つが(あるいはすべてが)強調されているわけではなく、描かれているのではアメリカのどこかにいそうな人の、とても尊い人生だったように思う。(かといって上記のテーマが後景化し、政治色?が脱色されているわけではまったくない。主人公の少年期から大人までを描いた映画としては『6才のボクが、大人になるまで。』があるけど、白人の・そこそこの地域に住む・それなりにまともな両親と姉を持つ・異性愛者の主人公の人生と本作の主人公はまったく違うものだし、2人の人生を大きく分けたのは紛れもなく上記のテーマにあるようなことがらだと思う)

おすすめ!

 

② SING

sing-movie.jp

 

楽しかったのは間違いない。最後のショーはとても良かったと思う。

しかし、引っかかる点がいろいろある。最大のひっかかりポイントは、日本から来たAKBっぽいアイドルグループの存在。彼女たちは、英語が理解できず、自分たちがオーディションで落とされていることも理解できず歌とダンスの練習を続ける、いわば「バカな娘たち」として描かれている。日本のアイドルが馬鹿にされていることに憤りを感じているわけではないが、AKBのようなアイドルグループに「馬鹿な娘」を演じさせて商品化して莫大な利益を得ているオッサンたちの存在がまったく無いものとされていることが、どうしても許せない。ディズニー映画はいろいろと問題点もあれど、誰も傷つけないという点ではこの映画よりずっとマシかな、と思う。

それと、ぶたの専業主婦が出てくるんだけど、たくさんの子ぶたを育てて家のこと一切をやっている一方で、夫は朝から晩まで家族のことは文字通り視野に入っておらず、衣類から食事から何から何まで妻に面倒を見てもらっているのにまるで一人で生活しているかのように振舞っている。この夫が自分の振る舞いを見直すことは最後までなかったのでもやっとした。

さらに、ゴリラの少年が出てくるが、強盗をして生計を立てている父親(と仲間?)に無理矢理強盗を手伝わされていて、歌のオーディションの練習のために少しの間強盗活動から離脱していたら、そのために父親もろとも捕まってしまい、勘当される、という流れだった。ここでこの少年が「親父なんてもう知らん」となればいいものの、なぜか「父親に勘当されて悲しい」、という展開になる。無理矢理に自分の息子に犯罪行為を手伝わせていた父親が、捕まったからといって息子を勘当し、息子は悲しみ落ち込む、って、制作してる人たちの倫理観ぶっとんでるのかな??と思った。

お金出して映画館で観る映画ではなかったなー、と思いました!

 

③LION

gaga.ne.jp

よかった、と思う。傑作、とまではいかないけど、特段悪いところもなく。デヴ・パテルは、『スラムドッグ$ミリオネア』のときよりめっちゃ成長してて普通のお兄さんになっててビックリした。そのうち、ジュンパ・ラヒリの小説が映画化されたら(もうすでに『その名にちなんで』が映画化されてるけど)主演してほしい。あと、ニコール・キッドマンの演技がとてもよかった。

ちょっと子ども時代が長すぎる気がして、子どものときにあれだけ「お母さんやお兄ちゃんのところに帰りたい」と言ってたのに、オーストラリアに移って新しい家族と暮らしてたらそんなにインドの家族のこと忘れるもんなの?と疑問に思ってしまった。これだけ子ども時代が長いのも、最後のメッセージ(インドでは年間数万人の子どもが迷子になる)を強調したいからかな、と。

 

 

ここ最近観た映画を自分の中でランクづけしてみると

① Moonlight

② ザ・コンサルタント

③ モアナ

④ LION

⑤ La La Land

(ランク外) SING

かなー。あと『ジャッキー』が観たい。

 

 

 

 

近況

 

ネガティヴな感じだった今月初めと比べ、最近はそれなりに調子がよい。

 

ここ最近、メンタル面の不調を(医師やカウンセラーの協力もあって)うまくやり過ごすことができつつあり、これは良い傾向なのではないかと思う。

 

思えば、これまで何かと問題を抱え、精神的なダメージを受けると、つらいとかしんどいなどといった感情にそのまま流されてしまっていた。身体的な疲れがたまったり良くない経験が重なったりするとその傾向が一層強まり、抜け出せなくなっていった。

しかし最近は、漠然と不安感や絶望感が襲ってきたり、何かをきっかけにネガティヴな感情に支配されそうになっても、自分の状態を客観視できるようになり、またしんどい自分を認めることができ、そうするとけっこう楽になるのだった。

そうした自分に対する客観視さえもうまくいかないほどつらくなるときは、とにかくその時間が過ぎるのをじっと耐えて待つ、といった対処をしている。

 

これまでは、すぐにネガティヴになったり、うまく自己評価を高めることのできない自分を否定されることが多かった。上記の対処法で言えば、しんどい自分も、しんどい自分を客観視できない自分も含めた、私の人格のすべてに対する他者からの(ネガティヴな)評価が続いたために、どんどん駄目になっていった。

もうあの手の苦しさは御免被りたいな、と思う。

 

 

終わった

 

 

もろもろのことが終わった。

とてもほっとしている。